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天狗党の乱
天狗党は幕末、水戸藩における尊皇攘夷の過激派のこと。
これに対して反天狗派を諸生党という。天狗党の乱は筑波山事件ともいい、
元治元年(一八六四年)尊皇攘夷を決行しようと筑波山に兵をあげた事件で
主導者は田丸稲之衛門(この古文書では稲衛門)、武田耕雲斎、藤田小四郎らである。
諸藩の連合軍と戦ったが、町奉行であった田丸稲之衛門はここに書かれているように
湊(那珂湊)の戦いで捕えられ処刑された。武田耕雲斎、藤田小四郎らは京へ向かう途上、
越前に走って加賀藩に降伏し、その後敦賀で斬られた。
天狗の名は自ら名乗ったのではなく「成りあがり者」で「天狗になっている」
という意味の蔑称で呼ばれたのである。各人それぞれこれに書かれているように
数百石の高持ちであり、四百人余合計すると四万七千石余となることが書かれている。
いわゆる水戸藩内で起きたクーデターである。
少し遡るが事件の背景には朝廷から水戸藩にもたらした「戊午の密勅」とよばれる事件があった。
攘夷の勅命を幕府ではなく直接水戸藩に告げたため、これに対する処置で意見が分裂し、
幕府とも対立する過激派が起こった。安政の大獄をきっかけに起きた桜田門外の変も
この過激派の一部によるものである。その集団が天狗党へと変遷していったのである。
原文
解読文
笠間ゟ七月廿三日 鋪へ繰込廿七日取込八月廿四日ニ公辺之
生勢組込 勢移而水戸弘道館へ繰込夫ゟ小川
七月廿四日夜初而戦 館新情館江破り塩崎并勝倉出張ニ相成
天狗大平勢田丸稲右衛門組大田町 千弐百石 御老中 升田伊賀守
夜□□繰込七月廿五日朝藤から 三百石 山岡喜八郎
町初而戦天狗勢十四人討取二度 四百石 下丁奉行 早見□之進
目八月八日松平大炊頭吉田明神 八百石 三木助太夫
山ゟ砲発ス同月十一日朝天狗勢 六百石 同 富田三保之助
磯之濱繰込同月八日脱町岩 弐百石 御目付 小池源太左衛門
船ニ生勢組屯所故ニ報(放)火いたし 天狗組
同十六日朝川上討死天狗勢八月 常州菱上
廿二日五丁矢場新情館福地屋 壱万石 御連枝 松平大炊頭
六百石 御老中 大久保仁吾左衛門
七百石 大番頭 鳥井瀬兵衛
八百石 御老中 柳原新左衛門
六百石 大番頭 賀藤八郎太夫
原文
解読文
五百石 寺社奉行 中山民部 同 東郡奉行 小多部
同 向井岡左衛門 五百石 大番頭 斉田彦右衛門
同 坂田鉄蔵 伊賀守倅
九百石 御家老 岡田新太郎 三百石 館奉行 林 五郎三郎
八百石 側用人 谷 鉄蔵 八百石 大番頭 大田原尽内
五百石 御実院番頭 門葉三左衛門 三百石 御目付 立原朴次郎
同 彦右衛門倅 斉田勉助 同 庄司斉吉
弐百石 御目付 松平左衛門 同 三木源八
同 南郡奉行 新井新八郎 弐百石 御先手頭 三木孫太夫
同 西郡奉行 牧 彦之進 同 岡左衛門
同 北郡奉行 田村 同 松平大炊頭付人 山中新左衛門
百石 橋奉行 梶 清左衛門
原文
解読文
同 今瀬織部 九月八日夜土浦辺ニ而土浦□人数□
同 □入道春雄 百姓一揆ニ而討取之候由
獄門 同 植原伊平次 渡辺亀五郎
立原□次郎 大膳彦之丞 馬役
□□□□ 大宮八三郎 細谷勘助
梅沢駒太郎 升田伊賀守 □□
□□□□□ □ 内膳□場 菊地幾太郎
斉藤左次右衛門 右同断 書役 □□□
田丸稲右衛門 渡辺 関根長右衛門
田中源蔵 右同断 軍地市左衛門 斎藤宗之助
山岡兵部 右郎十二人之者逃去
磯之濱ニタテコモル後ニ改心イタシ 大将 □□
水府江返ル右五人揚屋入 三木宇右衛門 廣岡 之助
大田原傳右衛門 国見甚右衛門 女房まち 大 長貞太郎
向井易左衛門 花村 年廿二才
美部升之助 松原源□□
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