目次に戻る

佐渡詣道之記

  
       佐渡詣
        道乃記
                  貞敬写

 道中記です。道中日記またはここにあるように道の記とも言います。 道中記には行程や使った費用だけを記録したものが多いですが、 このように文章で綴られたものは文学的で、途中歌が詠まれており、 形式的には芭蕉翁の奥の細道を思い浮かべます。 金沢に住む宗教信者である女性のグループ旅のようで、 流人として佐渡へ流された日蓮上人の足跡をたどる旅行記録です。
 嘉永二年の旅で作者は負山という人であるようですが、 表紙に貞敬写と書かれているので後に写されたもののようです。 朱書き(注記)では明治十一年と書かれていますが、これを写した人物かどうかは分かりません。。
 

原文

     

解読文

    三日
法の師のあとといはやとけふ
こそは思ふ友とち四人にてとく
目覚しつ立出しかねむころの
人々打つと門送りしつ別れを
つけ行ほとにしはしあゆむと雨ふり
出雨具なととふてかくなん
  打つるる今朝の門出にふる雨は
  わか悦のなみたなるらめ
空打詠め同音に首題唱行程に、
津幡の宿に入昼食なんと調立出、

読み方について

    三日
法の師の跡訪いばやと、今日こそは思う友どち(達)四人にて、 疾く目覚しつ立ち出でしが、ねんご(懇)ろの人々打ちつど(集)い、門送りしつ別れを 告げ、行くほどに、しばし歩むと雨ふり出で、雨具など訪うて書くなん
  打つるる今朝の門出にふる雨は
  わか悦のなみだなるらめ
空打ち詠(なが)め、同音に首題唱え行く程に、津幡の宿に入り、昼食なんと調え、立ち出で、

原文

     

解読文

頃ハ嘉永二年卯月のはしめ
なりしかかねて心ねかひ成
ける越後国佐渡ヶ島なる高祖
大士の霊場え参詣せる時来りあひ
あふ友とち打つれて立出るにつけ
もふてかたき人々の家産にと
つたなき筆にかいつけもて来ぬ
  嘉永二年酉
    卯月三日     負山
(朱記)嘉永二年ゟ明治十一年迄

くりからの峠にのほり雨もいとはて
行程にかたえ成山の端に雨にぬれし
藤のうつくしく咲きしに打みとれ
  雨そそく道もいとわてくりからの
  山のはたえをかくす藤なみ
夫より次第に下りになりし頃は四方
山のきりもやみ雨もはれ、田はたの
けしきおもしろく打詠行ほとに
名□の宿に至り今宵はここに泊りぬ
    四日
空もはれやかになりとく立出し名□
の町も半過頃親邊川を船に乗高岡えと

読み方について

頃は嘉永二年卯月のはじめなりしか、かねて心願い成ける、越後国佐渡ヶ島なる、 高祖大士の霊場へ参詣せる時来たり、相合う友達(どち)打ち連れて、立ち出でるにつけ、 詣でかた(難)き人々の家産にと、つたなき筆にかいつけもて来ぬ
  嘉永二年酉
    卯月三日      負山
くりからの峠にのぼり、雨もいと(厭)わで行く程に、かた(偏)へ成る山の端に、 雨にぬれし藤のうつくしく咲きしに打ちみとれ、
  雨そそく道もいとわてくりからの
  山のはたえをかくす藤なみ
夫れより次第に下りになりし頃は、四方、山のきり(霧)もやみ、雨もはれ、 田はたのけしきおもしろく打ち詠(ながめ)行くほとに、名□の宿に至り今宵はここに泊りぬ
    四日
空もはれやかになり、と(疾)く立ち出でし名□の町も半(なかば)過ぎ頃、親邊川を船に乗り高岡へと

原文

     


解読文

心さし舟中皆同音に題目修行し
四方の気色を見渡せは端山□山打重
ねし風景、詠めにあかぬ事共也
此乗合の人々はみな他宗計、或はかの
善光寺等参詣の者等多く乗あへり
我友とちはみなおこたらす題目修行
するにつけても他宗のともから
仏縁にふれもやせぬと口より出るまま
  誰もかも縁にやふれん大乗の
  妙なる法を聞につけても
かくて昼頃ともおほしきに高葉
町え舟もつき夫ゟ打つれ大法寺法光寺
なとへ参詣し町をはなれて大門え行
見れは過し頃通りし頃は満水にて
橋なかれ舟渡し又舟橋なとこそわ□
け侍るに、今はいと大きやか成橋懸り
金沢なとにはおよひもなき大橋なり、
橋の半に休らい打見とれ居たり
しかかくてもはてしと小杉のほとりに
開発といへる村有親しき人有により
一宿しぬ
    五日
開発をたち出けふもうららか成

読み方について

心ざし、舟中皆同音に題目修行し、四方の気色を見渡せは端山□山打ち重ねし風景、 詠めにあかぬ事共也。此乗合の人々はみな他宗計り、或いはかの善光寺等参詣の者等多く乗あえり、 我友どちはみなおこたらす、題目修行するにつけても、他宗のともがら仏縁にふれもやせぬと口より出るまま
  誰もかも縁にやふれん大乗の
  妙なる法を聞につけても
かくて昼頃ともおぼしきに、高葉町へ舟もつき、夫れより打ちつれ大法寺、法光寺なとへ参詣し、 町をはなれて大門へ行き、見れば過ぎし頃、通りし頃は満水にて橋流れ、舟渡し、 又舟橋なとこそわ□け侍るに、今はいと大きやか成る橋懸り、金沢などにはおよびもなき大橋なり、
橋の半ばに休らい、打ち見とれ居りたりしが、かくてもはてしと小杉のほとりに開発といへる村有り、 親しき人有により一宿しぬ
    五日
開発をたち出で、けふもうららか成る

原文

     


解読文

気色にて小杉の宿もうちこえ海
邊に出る川の風景とはことかわり
詠めも一しほにて詠めあかす名ある
渡しもこへ岩瀬にて昼喰たふへ
滑川にて旅宿に入ぬ
    六日
またきに旅宿を出けふはうちくもり
たる空にしあれと道中には心
やすく魚津も打過三日市にて
昼喰たふへ是より愛本道と
別る所也黒辺川の四十八瀧とて
名高き難所にて皆人々の愛本へ帰はれと
心いまた通り事なき故一度通
見はやといひ三日市を立出し処
ひとりの男茶どんにこしかけ物心
かわし我らひとつに行てんいさ
きませとて打つれ行程にあひなく
四十八ヶ瀬にさしかかり見れは聞し
より猶すさましく舟渡し二ヶ所
あとはみなみな歩(かち)渡り深き有浅
きあり多くの川瀬をうち渡り入山
いへるに行つれなる人此所の物なる由

読み方について

気色にて小杉の宿もうちこえ、海邊に出る、川の風景とはことかわり、詠めも一しほにて、 詠め飽かず名ある渡しも越え、岩瀬にて昼喰たふへ滑川にて旅宿に入ぬ
    六日
またきに旅宿を出で、けふはうちくもりたる空にしあれと、道中には心やすく魚津も打ち過ぎ、 三日市にて昼喰たふへ、是より愛本道と別る所也、黒辺川の四十八瀧とて名高き難所にて、 皆人々の愛本へ帰はれと心いまた通り事なき故、一度通見はやといい、三日市を立ち出でし□ ひとりの男茶どんにこしかけ物心かわし、我らひとつに行きてん、いさきませとて打つれ行く程に、 あひなく四十八ヶ瀬にさしかかり、見れは聞しより猶すさましく、舟渡し二ヶ所、 あとはみなみな歩み渡り、深き有り、浅きあり、多くの川瀬をうち渡り、入山いへるに行き、 つれなる人、此所の物なる由

原文

     

解読文

ねむころにわかれをつけて立別れ
高祖の道ひき給ふかと悦ひあひぬ
たとりたとりて泊の宿に入り
いたく雨ふりけふはひと日逗留
ならしぬ
    八日
壱里余海上舟にて渡市賑と
いへるえ上り行空曇たれとも雨
ふるされははこひよくもけふしは
名におふ山下の難所えさしかかり
しか空晴れぬるゆへ道すかし海邊
の有さま打なかめ名も親しらす
駒帰りなと難しゆう心斗□く
山のうへよりすさましき瀧の幾
筋となくおつるさま心なきわれら
まて何そ物いひたきおももちして
 高根より千筋の糸をうちすえて
 たきの白絹おるかとそ見ゆ
いつしか青海川もうちわたり深
井川へと心さし行程に名も姫川と
音に聞川岸に行見れは河なみさか
まき其おそろしさいわんかたなし

読み方について

ねむころにわかれをつけて立別れ、高祖の道ひき(導き)給ふかと悦ひあいぬ、 たとりたとりて泊の宿に入り、いたく雨ふり、けふはひと日逗留ならしぬ
    八日
壱里余海上舟にて渡、市賑といへるへ上り行き、空曇りたれとも雨ふるざれは、 はこびよくもけふしは名におふ山下の難所へさしかかりしか、空晴れぬるゆえ道すかし、 海邊の有りさま打なかめ、名も親しらす、駒帰りなど難しゆう心斗□く山のうへより すさましき瀧の幾筋となくおつるさま、心なきわれらまて何そ物いひたきおももちして
 高根より千筋の糸をうちすえて
 たきの白絹おるかとそ見ゆ
いつしか青海川もうちわたり、深井川へと心さし行程に、名も姫川と音に聞く川岸に行き、 見れは河なみさかまき其おそろしさいわんかたなし

原文

     

解読文

 姫といふ其名にも似ておそろしや
 此川かみハおにもすむらめ
かく打詠居る内大雨ふり出夏とも
いわて大きなるあられふる有様いかに
越路といひなから雪気におどろく
計也とかう云内舟を立出むかうの
岸に着糸井川に一宿ならぬ
    九日
またきに宿所を立出けふは晴やか
なる空打詠かぢ屋敷能生宿も
打過名立杯ミな青うなばらの風景
おもしろくさりなからあゆみなしいぬ
友とち濱邊に□       □
たとり〱て泊りをいそきて有間□
といへるに宿ろ求ぬ
    十日
朝したくしつ立出長濱もこえ是より
今町へと心さし行程に此所に延寿寺と
云寺有参詣し入海の渡しをこへ濱
邊江行晴やかなる空にて四方打詠
行云れハあまたの男女うちましくも
取々仕わさいなだといへる魚は何連に

読み方について

 姫といふ其名にも似ておそろしや
 此川かみはおにもすむらめ
かく打ち詠め居る内、大雨ふり出で夏ともいわで、大きなるあられふる有様いかに 越路といひなから雪気におどろく計り也とかう云う内、舟を立ち出でむかうの岸に着き、 糸井川に一宿ならぬ
    九日
またきに宿所を立ち出で、けふは晴やかなる空打ち詠め、かぢ屋敷能生宿も打ち過ぎ、 名立杯(など)みな青うなばらの風景おもしろく、さりながらあゆみなしいぬ。 友とち濱邊に□       □たとり〱て泊りをいそぎて有間□といへるに宿ろ求ぬ
    十日
朝したくしつ立ち出で、長濱もこえ是より今町へと心さし、行く程に此所に延寿寺と云う 寺有り、参詣し入海の渡しをこへ濱邊へ行く、晴やかなる空にて四方打ち詠め行く、 云われハあまたの男女うちましくも取々仕わさ、いなだといへる魚は何連(いずれ)に

原文

     

解読文

する物やと思ひしに此濱にハ多くの人
数懸濱邊一面に干有様其外わかめ
海そうめん抔色々の海草女わらへ海中へ
入て相求りむしろのうへに打ならへ干居
有様面白く足のいたみも打わすれ黒井
片町なんといへる宿も打こえ此あたりハ塩やき
濱にて男女おしなへて塩くむ有たるる有□
夫々の手わさ打見とれ枕崎といへるに泊りぬ
    十一日
枕崎を立出妙蓮寺と云あり参詣し
濱邊つたひに足をなやみ行程に名のみ
聞亀別峠云ハ其昔義経公奥州御下向
折ふし此の方御安産の所とて色々の
名所有弁慶八幡宮へきせいをかけ金
こう杖をつき立し所清水わき出しと也、
其水にて亀若君の初湯めさせしとかや、
其時弁慶くわい中より餅壱つとふと
力餅とて参らせしとて茶でんを出し
其水にて餅をつき往来の人にすすめ居ぬ、
其茶てんに休らひ餅抔たふへ色々物語
なと聞しかと委敷ハしるさす、夫より
打つつき近江峠と云とておほしき有打こへ

読み方について

する物やと思いしに、此濱にハ多くの人数懸け、濱邊一面に干す有様、 其外わかめ、海そうめん抔(など)色々の海草女わらへ海中へ入て相求めり、 むしろのうへに打ならへ干居る有様面白く、足のいたみも打わすれ、 黒井片町なんといへる宿も打こえ、此あたりは塩やき濱にて男女おしなへて 塩くむ有たるる有□夫々の手わさ打ち見とれ枕崎といえるに泊りぬ
    十一日
枕崎を立出で、妙蓮寺と云あり、参詣し濱邊つたひに足をなやみ行く程に、 名のみ聞く亀別峠と云うは其昔義経公奥州御下向折ふし、 此の方御安産の所とて色々の名所有り、弁慶八幡宮へきせいをかけ、 金剛杖をつき立てし所清水わき出しと也、 其水にて亀若君の初湯召させしとかや、其時弁慶懐中より餅一つとふと 力餅とて参らせしとて茶でんを出し、其水にて餅をつき往来の人にすすめ居ぬ、 其茶てんに休らひ餅抔たふへ色々物語なと聞しかと委敷ハしるさす、 夫より打つづき近江峠と云うとておほしき有り、打ちこへ

原文

     

解読文

濱邊に出あら濱といへるに旅宿求ぬ
    十二日
けふもうららかなる気色にて朝
したくしつ旅宿を出又もや濱邊に道をなやみ
なからすなとりする舟のあちこち行く有様、塩
たくなと詠めにあかぬ事ともかなと云□
寺泊りといふに宿り求ぬ、此所越後□所の
霊地の壱つにて法福寺と云有、寺をはなれ
祖師堂有、此祖師堂ハ文永八年九月十二日
瀧口の御法難をのかれ給ひ依智一入りせられ
十月十日依智を立て同廿五日寺泊り石川右衛門
といふ人の家に七日御舟待の御宿所也□
御しゆよの御硯水の御池有、将又高祖御座まし
ませし所を不常の人ふむともつたいなしとて□
うがち是又大き成池也、石川右衛門我家を高祖ニ
奉りて祖師堂として其あたりに石川の
屋敷今も猶栄久しき折ふし十二日□
祖師堂江参詣し題目修行し宿所へ帰り
打ふしぬ其夜大雨ふる
    十三日
とく目覚出立しけるに空晴わたり屋ひこ
峠と云にさしかかりやひこ山名宝なと此所
入場所こたわれ女なとあちこちありくさま

読み方について

濱邊に出で、あら濱といへるに旅宿求めぬ
    十二日
けふもうららかなる気色にて朝したくしつ旅宿を出で、 又もや濱邊に道をなやみながら、すなとりする舟のあちこち行く有様、 塩たくなど詠めにあかぬ事ともかなと云□、寺泊りといふに宿り求めぬ、 此所越後□所の霊地の壱つにて法福寺と云う有り、寺をはなれ祖師堂有り、 此祖師堂ハ文永八年九月十二日、瀧口の御法難をのかれ給ひ依智一入りせられ、 十月十日依智を立て、同廿五日寺泊り石川右衛門といふ人の家に七日御舟待の御宿所也、 御しゆよ(書)の御硯水の御池有、将又高祖御座ましませし所を不常の人ふむともつたいなしとて □うがち、是又大き成る池也、石川右衛門我家を高祖に奉りて祖師堂として、 其あたりに石川の屋敷今も猶栄久しき折ふし十二日□祖師堂江参詣し題目修行し宿所へ帰り、 打ふしぬ。其夜大雨ふる
    十三日
とく目覚出立しけるに空晴わたり屋ひこ峠と云うにさしかかり、 やひこ山名宝など此所入場所こたわれ女なとあちこちありくさま

原文

     

解読文

おかしくとふ嶋も打過名も高き難舟着岸の
角田山に着ぬ當春我師此山江入山有し故まみ
申さんとお思ひしに折悪敷當寺にて居まさす
随身の方々は知□へるゆへよくこそ来しとてねむ
ころにもてなし給ひまた日も高かりければ本堂
詣と祖師堂のかたへなる屋敷をハあたえ給ふ
心嬉敷仏前にぬかつき同音に題目修行
ゆるゆる堂等を廻り礼拝せしに當寺ハ日郎聖人
の御建立とて高祖の御すしの両方に郎師
印師の尊像有抑高祖大士ハ中老同法
の御真作にて高祖御在世の頃天下泰平御祈の
読経願□の尊像自ら御ち   有しを高祖
御覧有て実に路にむかふかことしと御賞美
ましける尊像也と聞ぬ越後御く  の折
よりゆつり受給ひ此所へあんちし奉り給ふと也
 き尊像也、常に御開帳成りかたきゆへ秘密に
 聞からにいとと思ひや
  尊き御かけむねに移して
かくふしおかみ昼の疲れをやすめなんと皆も
うちふしぬ
    十四日
けふハ此所に逗寺しあたりの霊場拝さんと案内たのみ
立出ける寺の高にハ目をおとろかす山有名をハ天子が
たけと云、其下に題目堂有、此ゆえを聞に初にしるす

読み方について

おかしくとう嶋も打ち過ぎ、名も高き難舟着岸の角田山に着きぬ、 當春我師此山江入山有し故、まみ申さんとお思ひしに、折悪敷當寺にて居りまさず、 随身の方々は知□へるゆへよくこそ来しとてねむころにもてなし給い、 また日も高かりければ本堂詣と祖師堂のかたへなる屋敷をハあたえ給う、 心嬉敷(うれしく)仏前にぬかつき同音に題目修行、 ゆるゆる堂等を廻り礼拝せしに、當寺は日郎聖人の御建立とて高祖の御すしの両方に 郎師、印師の尊像有り、抑(そもそも)高祖大士は中老同法の御真作にて、 高祖御在世の頃、天下泰平御祈の読経願□の尊像、自ら御ち   有りしを、 高祖御覧有て実に路にむかふかことしと御賞美ましける尊像也と聞きぬ、 越後御く  の折よりゆづり受け給い、此所へあんちし奉り給うと也、  き尊像也、常に御開帳成りかたきゆへ秘密に
 聞からにいとと思ひや
  尊き御かけむねに移して
かくふしおかみ昼の疲れをやすめなんと皆もうちふしぬ
    十四日
今日は此所に逗寺しあたりの霊場拝さんと案内たのみ、 立ち出でける寺の高さには目をおとろかす山有り、名をば天子がたけと云う、 其下に題目堂有り、此ゆえを聞くに初めにしるす

原文

     


解読文

十月廿一日天気よろしく寺泊り御出舟有しか依
空かきくもり風雨あれ来りしに舟頭も方角を
失ひ何卒方角知れ候様高祖に祈ふ高祖即
御祈念有しに其しるし暫時に角田山に顕われ
是にたよりかの山の麓にこぎ戻しぬ警固初め
あやうき難をまぬかれ、舟より上り着類なとしほり
けるが、高祖端座ましまし、日蓮ふたゝひ帰ら□□
いかゝ、若くハ又未の世に法花経弘まらん時のためにと
其ほとりなる大石に一へん御首題遊ハし
南無妙法蓮華経の字いまたおわらさる内、天童子□□
同しく一遍首題を書給ふ其時に、高祖誰成とといらせ
給ふ、一言の御返答無して、下に八情としるし給ハ
又天子帰らせ給ふと也、是角田山三ケ霊場
の一ツ也、妙法の御徳末の世迄も流布する□□
心根ニてつし難有さかきりなく
 末の世の人の為とていまもなを
  妙なる法を石に残して
皆人かんるいとゝめかたく、名残おしく□□
立さり、名も高き大岩家に詣見るに、広
さ四十余間有り、奥行の其深さいくハく有
やしれさる由、くぐり入見れハ只々おとろく
のみ也、厳窟のいわれいかんとなれハ、いつの
ころよりか七頭の大蛇住、大舟ニてもくつ

読み方について

以下 準備中

原文

     

解読文

□し、あまたの人を取くらふ事かそへかたし
とや、高祖の御前へ百姓体のいじん顕れ、此
悪龍をたいじし給へと願、其時一字一石の
首題、御経、又尺余の石江首題等御書写られ
海底江なけ入たまへハ、一石々々にあらいその波
彼ほらあなあらわれ、大龍七頭の姿を顕
せしと也、此所七面大明神根本の霊場とす
  悪かりし程猶今ハ世の人に
   仰かれたまふ神植のあと
昔ハ海、今ハ大キなるすな山にて、参詣おもいの
まゝ也、又村方の者共此所さいの河原といふ、何故と
いふにこの巌の中に幾はくとなく小石有、
小山の如につミ有、参詣の人々若御経石□□
ませツへし、其侭置に一夜の内本の如つミ有由、いか
なる者の仕わさにや、これ人間の知る事あたわ
さる所なるへし、又彼御経石等いつしか海底
より上り、今角田山の霊宝とかや、扨廿七日の夜雨あられ
大あれ来しゆへ、高祖大成岩の本に風雨を□□
    折から此岩に題目遊し、日蓮と御判
遊し、其本に一夜を明し給ふ、今是を岩の題目とて、
是三ケ霊場の二ツとかや、廿八日快晴にて御出舟の
折しも、天曇り振動雷電し光物来りて、稽古
の面々ひれふしぬ、高祖即海面ニ一遍首題書
たもふ時、青衣赤衣の二童子船の舳先ニ顕れ、

読み方について


原文

     

解読文

たまふと也、今に角田山ゟ三里計沖に龍蛇の勢ひ
なせる題目顕れるとかや、是三ツの霊場也と聞こと
にちおかみ帰りぬ
    十五 六日
大風にて佐渡出舟もなりかたけれハやみねとせ
にすすめられ逗留しぬ
    十七日
いとままふして立出しに昼頃ともおほしきより
雨ふり出しいそきいそき寺泊りに入ぬ
    十八日
雨ハはれしかと海中あらあらしく留守の内越後
本山村□妙法寺といふに詣しに七堂からん実に
大キやかなる寺也参詣なし旅宿に入ぬ
    十九日
けふもかぜやます出舟いかにと安するに長々しき日も
いつしか暮ける
    廿日
けふもうちくもりたる気色にて出舟おほつかなく
とてやみぬ、佐渡御奉行毎年御かわりとの事
折節寺泊りにて御船待有之御奉行御出舟のまつ
我らも出舟との事伊豆国三嶋宿の人とて
ふたりの女佐渡詣する由ニて十七日ゟ同宿し
ひとつに出舟せはやと云内明朝出舟也早々したく
                 せられよと云

読み方について


原文

     

解読文

    廿一日
夜の内に目覚、したく調出舟したりしか、何とか
しけん風すこしもなく、五ツ頃ともおほしきに
道五里計も行程に、佐渡の方より風吹来り
迎えすすむ事かたく、帰る方かよからぬと舟こき
戻、心にくきたとふるに物なし、又もや旅亭に入
休足なしける、此日御奉行も御舟出し□□
御帰り也、寺泊り濱邊の家等にて座敷有、彼所
行て見物するに御奉行の舟ハ皆引舟也、一そうの御舟に
小船四そう計もつけ、人数廿余人計も一そうニ入引
いとおもしろく此所の御奉行小身の御はたもとなるよし
されとも十万石のそなへとや、今度の御奉行
千石とか聞、毎年おかわりとの事、中川飛騨守
と云よし、御奉行の引舟すら如此と取々云はやし
先舟待せはやと云打ふし、八ツ頃ともおほしきに
舟頭来り風直し侭はやはや来よと又もや
出ぬ、満々たる海はらを渡り行、心の内の嬉しさ
いわんかたなし、夜中ともおほしきに小木のみな
とに着舟し船頭案内しけれハ宿より迎ひ
来りともなひ行 ひ、心ある人々などかゆ
等こしらへさせ、取々打くつろきしたくし打ふしぬ
    廿二日
とく目覚しつ三宝高祖へ礼拝ししたく調、夫より

読み方について


原文

     

解読文

宿の亭主案内し役所へおとゝけもすみ、夫より
小木町昌栄山安際寺と云にとふてけるに此寺の
開紀性善坊といふハ本真言宗の由、本小木に
庵ヲ結ひ居給ひし由、日郎様御帰路の
免状御持参の時頃は三月七日の夜御しや御着岸
有しか大イサ十間余も有なん小嶋江御着船シ
行先知らす御経御どくしゆましましける
を性善坊ほのかに聞付来見れハ一人の
御僧也、誰なるそと答、日蓮カ弟子日郎也と
答給ふ、さらハ道案内申さんと御供有、夫より
郎師の御弟子と成セ給ふよし、今昌栄山
のかいきと聞、其嶋を経しまと云、満々たる海中に
大キやかなる石あまたはひこり、つたひつたひして行
見るに人間の行へき所とも覚えす、松生茂ル
小高き山に郎師の御像石にて作、御旅姿
の侭御首に御免状を懸させ給ひ、御経どくじゆ
の有様おかみ奉り師孝第一の郎師と仰かれ
たもふもことわりかな、あまた御弟子有中に
三度佐渡へ御渡り御道中の御難儀を思ひ
やれ、いたわしくさりとても高祖ハ御対面
の上ハいか計御嬉敷思召候ハんと尊像を拝するとも
からハ袖をしほらん物もなし、其時の御嬉しさ

読み方について


原文

     

解読文

思ひやられて
 いか計嬉しかるらんむかしをハ
  見るにつけても袖ハぬれける
世の中小子を思ふ程親を思へとハみな人の云事なり
けれとかかる孝悌ハ仏とて又も有ましきや
実に高祖御賞美ましませしまことハ
こそ思ひ出ルまゝかくる也
 子を思ふ程猶親をおもへとハ
  つたなきものゝいふへかりけり
又道のほとりに他宗の寺有、大門の閣に御所桜
と云事書付たり、入ミれハ山桜二木有、其桜のゆへを
聞に、昔いつの頃成か此島江桜姫のミことといふ
御きさき流され給ひて、かの寺へ御着岸ならせ
給ひしに、山桜二本自ら植給ひ、明暮友となし
御帰路を待給へとも、つひニうせ給ふ、今もと是は
美人の聞有君ゆへ人のそねみ深く、御帰路も
なかりしや、高祖より余程昔の事なる由、され
とも其桜ハ今も猶、栄久しき長高からぬ古木、根
ハかれかれに成ても、毎年若めを出シかれる事なく、
御代くわんたりとも、枝一本取事きんじ有よし、
年毎に花見のくんじゆ(群衆)おびたゝしく有よし、
只の山桜とちかひ匂ひ深との事、枝ハ残らす都の方
を向有、昔を今に思ひ出し

読み方について


原文

     


解読文

其ぬしハきえて跡なき庭の面に
  うれしかほにも花や咲らん
打詠つゝ旅宿に帰り、夜喰なとたふへ、
物語なとしつ打ふしぬ
   廿三四日
此所おきてきひ敷、役所より城下の役所江手紙を
付、飛きやく立帰る迄は遠方江行事かたく、
其あたりを見めくり逗留なしぬ、廿三日夜より
大雨ふり出シ、四日の昼頃ゟはれぬ
    廿五日
いと暇やかなる気色ニて、小木を立出て、是ゟ
山道の難所也、あちこち見渡せは巌々たる
山、びやうびやうたる海、詠めにつきす行程に、長濱
とハいふ所に題目の石有、是ハ高祖御腰かけの
石成り、施主有て末代に土中へ埋れなん事を
なげき、此所江立しとかや、拝し奉行過しに、
あたりの浜辺船底へ水多入し有、何そと
見るに、当月の十五日の大あれに、此所と少しはなれ
し所に、二そうの舟被そんせしと也、千六百石とか
聞、あまたの米の内千俵計上りとかや、小舟ニて其
あたりを尋ありく有様、大舟のこわれしを
浜辺に有、居るも中々あわれ也、一そうの舟ハ
人そんじ無、今一そうハ九人相はてし由、水死の
霊根にしこうなし、行過るに其あたりの家

読み方について


原文

     

解読文

ことにぬれにし米を買しと見えて、川にて
あらい、むしろにて干あり、せおふて行有様あわれ
成し事共、かなとしつとひ新町といへる宿ニ泊りぬ
     廿六日
けふもうららか成天気にて、四ケの霊場の内、阿仏坊
詣ぬと道をいそきけるに、早くも阿仏坊へ来ぬ、広やか成
寺ニて、七堂の立方と見えて、五重ノ塔、本堂ハ
三宝高祖日得聖人御夫婦の像有、祖師堂の
御開帳願しに、高祖ハ御真作の由いと尊き尊像
阿仏坊日得聖人日満比丘尼の像、高祖御入めつ
の尊像等、ふしおかみぬもかんるいとゝめかたく、佐渡
ニて高祖への御仕事ハ、此御二方ニてましませし
おもへハいと尊く、又うらやまし
  ふりつもる雪ふみわけて法の師の
   うへをたすくる人はたのもし
夫よりうしろ山本光寺、是ハ朗師御しやめん状
御持参の折、道にていきもたへなんとおほしめし
御師□・・・    □所有、小坂有、是を
日朗坂と云、是ゟ少し先にはたのと云有、此村は
つれになんだいのうと云有、是ハ高祖をよひ給ひ
し時、もはやたへ入給ふ様に成し、御声を聞
給ひて、なんだいと御答被遊しとかや、今此所を
  国言葉なんたいのうといひしをハ
   師の名にハなりしとそきく

読み方について


原文

     

解読文

此所へ高祖日得聖人御同道にて迎に入き
し時、朗師ハたえ入給ふと也、夫より御界抱有て、本へ
もどらせ給ハ、本光寺の地江御出、松の木の本ニて御一宿
□□とや、今日朗山本光寺と号ス、三葉の柏と
云有、又是ゟ名高き塚原根本寺江参詣する、
惣門之内に大石塔有、山門の前に三昧堂有、昔
三昧堂のあとを高石柱ニなし、其上に石塔を
すへ界だんとしるしあり、昔を今に思ひ出し
□に袖をしほらぬものはなかりける
  雪ならてとふ人もなき此原に
   妙なる法の道をひらきて
夫ゟ二王門、二天門、其あたりに御硯水の井戸、
犬塚なと順拝し、本堂、祖師堂、□向堂、宝蔵
□丈七面堂なと拝し、祖師堂ニ至りしに、石坂の下に
龍とう様と云有、また龍とうの祖師と云、いかなる
事そと聞に、昔高祖御流難の時、三昧堂江女性
一人来り十界の御本尊をとふ、何物成そと尋給へハ、
秋津嶋明神の由、答しとなん、着物の袖をちきり、
夫江御本尊を願立さりし由、此女性七面大明神と
そ、此龍とうめうをささけし、此あかりにて高祖
自らきさみ給ひし尊像故、龍とう高祖大士と
となへけるとかや、実に大キやかなる尊像也、難有ふし
おかミける、日もたそかれ近く成しかは、高祖四とせの

読み方について


原文

     

解読文

ましませし所なれハ、今宵ハここにつや(通夜)し奉ら□
とて一夜をあかしぬ
     廿七日
打くもりしか雨ふるまもあらされハ、またきに立出
喰、拝せんとまつハ中真と云ニ御井戸有、此寺の
地主ハ次郎入道信重と云人の屋敷跡のよし、四ケ年
の間、朝毎に高祖山にのほらせ給ひ、日天子をおかみ給ふ、
其折々々御立寄御説法有、御本尊御授写の
□御筆ニて、御ほり被遊し所、井戸と成し
とかや、此所に田地あまた有、此寺のあたりに
かわす居るといへ共、声を出さずと也、高祖とゝめ
被遊しとかや、夫ゟ御杢山実相寺ニ行しに、是ハ
近藤伊予守と云人の跡のよし、且又おなしく大寺也、
此山江日毎のほり給ふて、朝日を拝し給ひしとて、御けさ
かけの松有、今ハかれて土蔵に入霊木として有由、参詣し
又一ノ谷妙照寺と云に詣しに、何も四ケの霊場ハおわり
なき大寺也、所堂江参詣し祖師堂江御開帳を
頼、拝し奉るに高祖ハあまり大きくもましまさゝれと、
御すしハ大き成結構成御すしなり、御経
たいし長々と拝し奉り難有き尊像也、此所
観心本尊抄十界ノ大曼荼羅御製作、霊山□約の
御書判なと道場とかや、名残おしくも立出、けふハ
相川城下へと心さし、たそかれ頃に旅亭ニ入ぬ

読み方について


原文

     

解読文

いつノよりかおもひくらせし、四ケの霊地を順拝せし
嬉しさハ筆紙にものへかたく、さりなから佐渡の国
江ハ、又ふたゝひ詣来るゝ事なりかたけれハ
御名残おしく旅亭に入てかくなん
    嬉しくも又はつ
     かしき今宵かな
      廿八日
朝したくして、宿の亭主同道しつ相川役所江出、逗留
の願を出せしに、此所おきてきひ敷、他国物ハ猶さらに
あらためつよく、朝四ツ頃ゟ出、夕七ツ頃迄も居ル事也、夫ゟ宿所江
帰り、湯なとあひて居る内、仕方□□□する物来り、色々
物まねくわいだん噺なとするも□物なし、夜喰なと
たふへて打ふしぬ
      廿九日
けふハ又出判を願て、当所の名所見物せはやと昼過
より、又もや役所江出ぬ、やゝ久しく待て願もすみし故、旅宿
おもむき浜辺へ出て、小石なとひろひ、すなとりする
有様なと詠め、余念なく夕くれ頃に帰りしかは、夜ゟ
雨ふり出し、げに梅雨の頃とて、移りかちなるけしきはと
云て、皆うちふしぬ
      朔日
けふも雨やまてありけれと、喰るゟ案内者を頼置けれハ、
当所各地、金銀山の風情見物せはやと立出けるか、実山

読み方について


原文

     

解読文

めくりとて、道、足の難ちやう云計なく、のほりのほりて金山
へ着、見れは聞しにまさる高山ニて、色紫ニにたる石山也、
此山のたゝ中二ツニ別てあり、昔始めて金銀此所ゟ、昼
夜に二千貫目とかふき出しとの噺を聞、夫ゟ段々のほり
かたし、いか程有やと尋るに、五六十丁計も有由也、
此中へあまた人数入て、水をくみ出ス有、金銀石をほる
物有、又せおい出ス物、何れもともし火ひとりに一ツつゝ持
□也、中ハあやめもわかぬやみの夜のことく、いかになれにし
とハいへ、いとおそろしきあなの中江、腰に弁当、手に
ともし火を持なから、歌をうたふてはしり入有様ハ、
□にいふ地ごくのせめもかくやとおもふ計也、其人の□厄
□□□ハひとりもなく、いかなれハかゝる山地に生れ出て、物かき
わさをする事やらんと思へハ、見るも中々いたましき物也、
とわたりにあまた小家有、女あまた打より其石を水
ひたし、金ある石と無とをよりわけいる有、又かぢや有、
是ハ金ほりの道具を直ス者、大勢夫にかゝりいる、又
大キやかなる小家によりわけし石をはたき、夫ゟ又
うすにてひきふるい、□こし木綿をもて其ふるい
しを水にひたしてこす事也、其上ハ金銀赤金なまり
とにふきわけるよし、誠に見るも物うき仕わさなりき、
我らのみしハしよく人の所、ひとつ山にあなハ数多有、江戸

読み方について


原文

     

解読文

表ゟ□□とが人ハ、外のあなへ入此水をくむよし、昼夜
休事無との事、おもひやられてあわれ也、こまやかに見物
し帰るさい、相川二十ケ寺参詣して旅亭ニ入ぬ
      二日
けふハ晴やかなる天気なれとも、明日ハ役所休日ニて、
出判出されハ逗留なしぬ、あやめの節句とて町々
賑わひ大方ならす、家毎にのほりを立しありさまハ、
金沢ニハ□るへくもなく、島国とハさらにおもわさり、
さなから江戸表ニもおとらしとおもへり、又もや
浜辺江出、つりするなと詠めつゝ、小石をひろふに
□来りて手つたひくれ、あちこちと見廻りしに、
□□ハミな石浜也、うつくしき石あまた有、佐渡の石
□とかや、ちかきならハほしき物と、みなみな云あひける、
浜辺ニはたいくつ、宿所江帰り、夜喰たへてふしぬ
      三日
□や大風雨にて、軒端へ出ル事も難成程なれとも、帰りなん事
をいそき、朝したくしつ立出しに、相川城下ゟ出ると白石跡と
云有、風雨はけしき折なれハ、一しほ難義やるかたなくたどり
たどりて峠を下り、矢わたの町を打過しころ、雨も少シはれ
かゝり、小倉と云に藤梅の霊場あり、是江参詣しはやと、
足をはやめて小倉に行ける、其梅のゆへいかんとなれハ、
高祖□崎へ御着岸有、此所江御□有しに歌右衛門と

読み方について


原文

     

解読文

云人の□辺に大石有けるに、御腰をかけませ給ひ有しに
い人□れ此方へ来り給へとそともないて、供物をすゝめ給ひシとかや、
高祖何人そと尋給へハ、我ハ住吉也とてうせ給ひしとや、夫ゟ
高祖歌右衛門をめして、此社ハいか成所とたつね給へハ、吉田宗社
社――――――――なりといふ、我思うふよしあれハ、
是をやねのむねに納よと有ける由、今に住吉大明神の社有
□神高祖へ神酒をハすゝめ給ふ時、御さかなに藤のみ
給れしよし、其みをうつ(埋)み置せられしとて大藤有、
歌右衛門に高祖名字を給りけり、藤原歌之助とな
□□、又えちより持給ふ梅の御つへを、地にさ□せ
□す、吾宗ひろまるならハ此藤梅花咲
と仰し由、二木共今にさかゆ、其大サいくはくと、かそへ
□□、根ハくちてあれとも、二かゝへも有程の枝つから
□に見わけかたき宿り木一本有、石垣をつみて前
□のほこらをこしらへ、其内ニ御旅姿の高祖の尊像
あんち奉り今題目堂有、是ハ藤原歌之助の地面成
由、此人いか成しゆくこうにや、其家まつしくすて□□
なんとする宝暦の年中に、あわの国住人常光妙光
と云人来りて、一宇こんりうせしとて、今も猶栄ゆ、
五百年の末迄も、栄給へしき二木の有様、かんたんに
てつし難有ふしおかみ、其かたわらに御腰かけの石

読み方について


原文

     


解読文

の上に祖師堂を立有、ゆるゆると参詣なし此所の村ニて一宿しぬ
      四日
天気よくまたきに出立して、けふハ松ケ崎へと心さしけるか、
道中の難義大かたならす、山中事なれハさも有なんと
思ひなからも、とにかく□   りと、□昼頃ともおほしきに
松ケ崎着、ゆるゆる参詣しける、此所御着岸根本の
霊場なり、大けやき有、此内ニて三日三夜御逗留と
□ハ二番生の由、大サ二間四方も有、夫より本道へ帰り、
手向と云より浜辺山道たとりたとりて、赤泊りといふに泊りぬ
      五日
けふも空晴やかに、またきに宿を出、十丁計に
真浦といふ有、此所ハ御帰国の折、出船の霊場
成らし、舟本三郎兵衛と云者、此人高祖をのせ
し舟頭成哉、御真筆の御本尊、并ニ御経石
所持する由聞、参りしにおかみたきよし頼しかと、御経石
のみにて、御本尊ハひし置由、高祖の尊像拝礼□
よと云故、上りて拝ミしに、いつの頃にか京都より
下り給ひしとて、いと尊き御像也、是ゟ壱丁計
上に御座所あり、参詣せしに高祖の御石塔の
かたハらに、千祖三郎兵衛の石像有、大キなる石とう
ろうなと立有、遠からぬうちに此所江祖師堂

読み方について


原文

     

解読文


そうえい(造営)出来のよし、木こしらえして有、此間
三四里計他宗のミの中へ他□宗なからもかかる
事の出来するもひとへに高祖の御大徳□
せん流布のきすいとかんるい、とくめ出たくやくしハ
礼拝し、夫より又もや難しよをこへ小木のみなとに着ける
 残りなくめくりつくしてけふよりハ
  かへるさいそく古郷のそら
    六日
けふハ舟に打のり帰らぬ物をとおもふ折しに
風雨はけしく舟ハおろか軒へも出ル事なり
かたく只うつうつとおもふのみにて日を暮しぬ
是より後ハ本来し道にて外にしるすへき事も
□へらねハ小木のみなとにて筆をとめぬ、道中
つかれの中にて只見しままを筆の行にまかせ
かいつけぬれハ落字あて字ハ云もさらなり
わけもなき口あひなと取にもたらす只高祖の
霊地の有かたきを我のみ拝せんも心なき
わさなりと詣給わぬ人々の家産にかなわぬ
筆にかいつけシを見る人々さつし給へ

読み方について



Copyright © 2021 Masaki Tanaka, All rights reserved.