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間々田宿廻状

 

   文政二年
   間々田宿ゟ廻状控
    卯正月ゟ
       須藤喜十郎

 これは文の記述から下野国安蘇郡上多田村(現在の栃木県佐野市多田町)の名主、 須藤喜十郎が文政二年に記録したものです。
 日光山修復の資材を江戸から日光へ運搬する人足を徴集するのだが間々田宿 の人馬では不足するため助郷として差し出すよう近隣の村々へ廻状を出しました。 しかし上多田村ら四村は間々田宿からは遠村のため助郷役は直接人馬を出さず、 金銭で対応し、その約定を記録したものです。

原文



解読文

    廻状      間々田宿
              部屋村始
 追而、此触書早々相廻し、承知之旨別紙請書
 相添、留ゟ宿村送りを以、主計御役所江可相返候
一此度日光山御修復御用ニ付、添助郷其外
 箇物運送之儀、江戸龍之口御作事
 方定小屋ゟ江戸川筋、利根川、房川

解説

間々田宿(ままだしゅく)は、江戸時代に日光街道(日光道中)に設けられた下野国の宿場。 現在は栃木県小山市間々田に相当する。 日光街道の江戸・日本橋から数えて十一番目の宿場である。

原文



解読文

 思川通、野州乙女河岸迄、船積ニ而還送いたし
 夫ゟ同国間々田宿ゟ鉢名迄陸路持送り
 尤人馬賃銭之儀者請負人相対を以
 相払候筈、其旨相心得候、三川之出水等之
 節、孰之由、先ニ而も小橋可致旨、是
 又差支無之様可取計もの也
  寅十二月廿八日

解説

乙女河岸(おとめかし)は間々田宿西方の思川に設けられていた河岸。 大型の高瀬舟が接岸できる上流端であり、日光東照宮造営の際には、御用河岸に指定されたため 多くの資材が船で運ばれてきた。江戸川・利根川・渡良瀬川を経由した資材は、ここで陸揚げ・集積され、 日光街道・壬生通りを経て日光に運び込まれた。

原文



解読文

           淡路 御判
                  山城 同
           紀伊 同
           伊賀 同
           美濃 同
     野州乙女河岸迄、夫ゟ鉢名宿迄
           右川筋并宿村々
          問屋、年寄、名主、組頭

読み方について


原文



解読文

 右之趣、御奉行所様ゟ宿村江御触書
 奉拝見候、何れニも、助郷人馬を以、御継立
 仕候間、為念御達置申候間、右之旨村々
 御承知可被成候、此触書早々順達、留ゟ無
 間違御返し可被成候、以上
           間々田宿
  寅十二月廿八日   問屋忠左衛門

解説

助郷(すけごう)
各宿場町では、参勤交代や公用の人や物を運ぶために人馬を常備する必要があったが、 これを助けるために近隣の村々が定助郷に指定された。

原文



解読文

  部屋村   東赤間村  西赤間村
  応谷村   除川村   西岡村
  西岡新田  細谷村   板倉村
  下五ヶ村  飯場村   大曲村
  舟津刈   宇山村   中口村
  新井村   只木村   大田和村
  古江村   新運村   下津原
  駒場村   林ヶ嶋村  大皆川

読み方について


原文



解読文

  志鳥村   柏倉村   小野寺
  上多田村  下多田村  田沼村
  赤見村
       右村々
        御名主中

読み方について


原文



解読文

   為取替申一札之事
一 高四百四拾石 赤見村 高九拾弐石 下多田村
  同百五拾石  田沼村 同七拾石  上多田村
 右御村々、当宿江代助郷被仰付候処、格別遠村ニ付人足
 忽触等之間ニ合兼、御村方御勝手合ヲ以、当卯三月ゟ
 来ル辰之二月迄、壱ケ年分、宿米共ニ金八両三分ニ相定
 申候、尤閏月者右割合を以、別段御勘定可被下候、場役

解説

 助郷はもとより夫役の一種であるから、それに対する金銭的な報酬はなく、 しかも助郷徴発の時期は農耕の繁閑を問わず、随時行われることが多いので、 農繁期に助郷として徴発されることは農作業に大きな支障を来し、また、 大助郷として遠隔の地から徴発される場合、その人馬が指定の宿場へ到着するまでには半日、 もしくは一日を費し、助郷役を終えて帰村するのにさらに半日、一日を費やすことになるので、 一日の助郷役を勤めるために前後の日数を計算すれば、それだけ農作業が遅れ、 農民の負担は加重することになる。そこで農民は助郷を課せられた場合、 金銭をもってこれに代える雇替人夫という慣習が生じた。 その手続きはもちろん問屋役人が行うものであるが、 村ではその雇替人夫の賃金を支払わなければならなかった。

原文



解読文

 金之儀者、毎月十月迄急度御渡可被下候、然ル上者助郷
 一統之義増金者格別、其外之義者何御通行ニかき
 らす我等方ニ而引請、御用聊御差支無之様
 取計可申候、為後日一札為取替申処、仍而如件

  文政二卯年二月     間々田宿
                 仁兵衛 印
              証人                  久兵衛 印

読み方について


原文



解読文

  赤見村 田沼村 上多田村 下多田村 御役人中様
 右之通一札取替申候、尤本書之義者、田沼村平兵衛殿方江預ケ
 置申候
一文政元寅年之儀者、初年ニ而間々田宿久兵衛方ゟ証文
 取、金九両弐分ニ而寅三月ゟ卯二月迄壱年相渡、尤
 納戸村次田治右衛門方江揚役金弐ケ月ツ丶分、取集相送り
 候処、同村之内多兵衛と申者才料ニ致候処、寅十二月中
 間々田宿ニ而御門主様御先荷為差支候儀ニ付、右回り村
 

読み方について


原文



解読文

 間々田宿問屋江被相呼、依之卯二月迄、右多兵衛相願
 申候、右ニ而書付問屋方へ入置候ニ付、右多兵衛方為休、正雲寺
 仁兵衛方相頼、尤仁兵衛間々田宿ニ久々居り候間、間々田宿ニ□
 萬屋久兵衛証人ニ取、其外下多田村吉兵衛殿方より
 一札取候而、金子之義者下多田村吉兵衛殿方へ月々
 送候、筈ニ而相究候、勿論為取替左之通

一高四百四拾五石 赤見村 高九拾弐石 下多田村
 同百五拾石   田沼村 同七拾石  上多田村

読み方について


原文



解読文

 右当村之其御宿方江代助郷被 仰付候処、格別
 遠村ニ付、人足忽触等之間ニ合兼、当村勝手ヲ以
 当卯三月ゟ来ル辰之二月迄、壱ヶ年分宿米共ニ金八両三歩ニ
 相定申候、尤閏月分者右割合を以別段勘定可申候、
 揚役金之儀者毎月十日迄ニ急度相渡し可申候
 然ル上者助郷一統増金者格別、其外之儀者
 通りニ不限其御方ニ而御引受、御用聊御差支

読み方について


原文



解読文

無之様御取計可被下候、為後日一札為取替申候処
 仍而如件
               赤見村
                   新助
  文政二卯年        同村
                   勘蔵
               田沼村
                   平兵衛
               上多田村
                   喜十郎

読み方について


原文



解読文

                 下多田村
                     久四郎
          間々田宿
            仁兵衛殿
 右之通、田沼村加藤之茶屋ニ而右人数会合いたし為取替
 相認、下多田村吉兵衛殿方江相渡申候

読み方について



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